2012年9月17日月曜日

元祖・人類は衰退しました

いま「人類は衰退しました」が、アニメ放送中だが、そこで初めて原作の田中ロミオ氏の小説のキャラクターデザインが、いつの間にか、がらりと変更になっているのに気づいた。

それはそうと、それこそ最初の「人類は衰退しました」のSFはなんだろう、と考えていくと、H.G.ウェルズの「タイム・マシン」(1895)が思い浮かぶ。
時間旅行者は、はるか未来、ピンク色の小型化した人類たちを発見する。どうやら争いも諍いもなくなった分だけ、知性も体格も退化してしまったようなのだ。

さて、時間旅行者は、偶然、川で流されていた未来人の女のウィーナを助ける。そして庇護欲を掻き立てられるが、この未来世界では、凶暴な地底人が、井戸から這い出し、地上の人間を捕食にくる。現代に連れ帰ろうと逃げまわるが、結局、もみくちゃにされて気づいたら、女は、もう地底人にさらわれていた(たぶん食べられた)、というあらすじ。
この未来人の女が主人公のポケットを、一風変わった花瓶と思い込んで、いつも花を入れてくるエピソードがある。これが最後まで伏線として生きて、いちいち、感情を刺激する。
坂口安吾は、『文学のふるさと』で、伊勢物語で駆け落ち中の男女が、家にたてこもったが、朝になったら女がもう鬼に喰われてしまっていた話を取り上げ、こんなことを言っている。

暗夜の曠野を手をひいて走りながら、草の葉の露をみて女があれは何ときくけれども男は一途に走ろうとして返事すらできない――この美しい情景を持ってきて、男の悲嘆と結び合せる綾とし、この物語を宝石の美しさにまで仕上げています。(『文学のふるさと』)

要するに、「タイム・マシン」は、時間旅行機械が初登場のSF史的な意味のある小説だが、同時に、このポケットの花瓶のエピソードによって、「草の葉の露をみて女があれは何」と同じ効果を発揮する。女の子が死ぬ話としても、読者を突き放すべく計算されている。
しかし、よくよく考えてみれば、これは折角のタイム・マシンものである。この旅行者は、女が死んだら、その未来が確定する前に戻って、過去の自分に忠告するなり、入れ替わってやり直せば、よかったのではないかとも思う(まだ当時の人には、そういう発想はなかったのかも)

2012年9月13日木曜日

「村上春樹になってはいけない」という連載の感想

プレジデントオンラインは、見たら分かるが、「なぜお金持ちは缶コーヒーを飲まないのか?」とか「なぜ行列に並ぶ人は、お金持ちになれないのか?」「お金持ちが結婚に求める5つの条件」とか今時、こんなガツガツしていいのかと、むしろ清々しいばかりのサイトである。

そんなサイトで、助川幸逸郎氏は、「村上春樹になってはいけない」という、隔週で全一二回の連載をやっている(原稿用紙にすると最終的に200枚以上になる)。直接的な利益を強調した記事だらけの空間に、ポツンと普通に村上春樹論、その図々しさが素晴らしい。これは、どうでもよくみえて、画期的なことだと思う。
内容として、村上春樹は、バブル的に消費されたように見えながら、実はバブル以降に通用する要素こそが、本質だった的な話が毎回のざっくりしたパ ターンである。つまり、「なってはいけない」の変な題名も、バブルの夢にいまだまどろむ読者への否定と同時に、可能性の肯定として、向けられているわけだ。その発表場所を利用した、企みもまた面白い(まだ連載折り返し地点なので、詳しいコメントはしない)