「女の子が殺される意味の解明」と題して話し始めてみたのですが、なぜ文学や様々なメディアで、女の子は死ぬのか。しかもその作品は人気があるのかというの設問の前提として、つらつら明治以来の名作をあげるではなく、小説の単行本で200万部超の3つしかないレコードホルダーをあげてみました。
小松左京『日本沈没』(1973) 上204万部
下181万部
村上春樹『ノルウェイの森』(1987) 上238万部
下211万部
片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001) 321万部
こうして整理しながら思いついたのが、『日本沈没』(1973)、『ノルウェイの森』(1987)、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001)の ダブルミリオン14年周期説。すると次は2015年。今から小説を書いて2015年に発表したら、200万部超狙えるかも??
さて余談はおいて、『ノルウェイ』と『セカチュウ』はいわずもがなですが、『日本沈没』も主人公の小野寺(深海潜水艇操縦士)中心に読めば、実は、やはり女の子が死ぬ話であり、3つが3つとも女の子が死ぬ話であることを指摘しました。
『日本沈没』内容おさらい 突如、沈んだ島の調査のため、8000メートルの海溝に潜った小野寺は、東京へ帰ると、お嬢様の玲子に引き合わされる。二人は出会ってすぐ、伊豆の別荘のエレベーターを降りて海岸でセックス。その途端、地震がきて、津波から逃げる。その後、小野寺は一年半もの間、暗い深海底にひたすら潜り調査する日々。村上春樹の小説へのよくある批判として、「僕」が都合よく女の子とセックスするというのがあります。ところが、たとえば小松左京の場合も、男女があってすぐセックスしてしまう(『首都消失』もそう)。ちなみに、この『日本沈没』の玲子は、あとで、誰とでも会ってすぐセックスする女じゃないと自己弁明し、小野寺に深い海の底を感じてセックスしてしまったとか。
やがて小野寺は、玲子と再会するや、またもセックスして婚約、もう調査も終わったし、沈没する日本脱出を決意した。しかし一緒に脱出するため落ち合う直前、玲子は富士山噴火に巻き込まれ死ぬ。
ポーの詩論「死、とりわけ美女の死は疑いようもなく世界で最も詩的なテーマである」という言葉の意味について助川氏としつつ、女の子の下降を論じた弊著との関係を語りました。そして最後の締めくくりは、古今のアニメの落っこちる女の子のシーンをいろいろ上映しました。
『超時空要塞マクロス』第2話19分あたり(1982 MBS、タツノコプロ、アニメフレンド、スタジオぬえ) |
古いところでは、『超時空要塞マクロス』のリン・ミンメイがふわふわ落っこちて、それをバルキリーで追いかけた一条くんが、コクピットに救い入れるいかにも無理やりな女の子の下降シーンとか。同じ年の『ナウシカ』の腐海の底にナウシカが落ちるところとか。
『神様はじめました』第7話11分あたり(2012 神様はじめました製作委員会) |
今放映中のものだと、『神様はじめました』。やっぱりなぜか危なっかしげなビルのうえで振られた奈々生が落っこちていって、狐耳男に救われるところ。貴志祐介原作の『新世界より』のエンディングでは、船で花火や幻想をみていた早季がいきなり天地が逆転(?)して落っこちる(傑作)などなど(原作にはそんなシーンなし)。
次は映画で、小津の「風の中の牝雛」の階段から突き落とされる田中絹代なんかも、と思いつつ、刺激的で楽しい機会をご用意くださいました助川氏と横浜市立大学の皆様ありがとうございました。